Youtubeのおすすめに出てきた一本の映画、「ゆきゆきて、神軍」。花嫁と花婿の結婚の場で、仲人なのに「前科がある者がこの場に2人!」と語りだすめちゃくちゃな入り。そろそろ寝るか、と思ったときに見始めたが、そのまま2時間ぶっ通しで見てしまった。
舞台は終戦何十年か経った後の日本で、 別に戦争が眼の前で繰り広げられるわけでも、ものすごくドラマチックな展開が起こるわけでもない。
(おじいさん同士が殴り合いの喧嘩になっているのはドラマチックとは別の方向性で目を引きつけられたが)
奥崎のいわば尋問と、それに対する元日本兵の会話を媒介にして浮かび上がってくる戦争のえぐ味にただただ圧倒されていたのかもしれない。ちなみに「戦争映画なのに戦争そのものが映っていない」枠組みで見るとするなら「関心領域」も同様かな。
映画が進むにつれて証人も増えるが、言っていることがみな微妙に食い違っているから、見る側としても当時奥崎や遺族の方が抱えていただろう不信感に、むりやり没入させられてしまった。
撮っている絵ひとつひとつ、構図の上手さを含めて、この作品を作った監督の手腕を思い知らされた。
この映画を今の時代では撮ることができないだろうし、倫理的にも、撮影対象との距離感としても、時代にそぐわないと思われるだろう。
写真も同様に、今の時代では到底撮ることができない写真、SNSがこれほどまでに発達してしまった時代では到底許容されないだろう写真も世の中にはたくさんある。
だからといって、この作品が持っている「記録としての力」を否定できるのかというと、それも簡単ではない。
誰かに何かを伝えること、その伝え方のありようについて改めて考える機会になった。





